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#15 自然米100%から田村産米100%へ。酒づくりの夢を支える自社田の取り組み

有限会社仁井田本家あぐり
吉田和生かずきさん

「日本の田んぼを守る酒蔵になる」の使命のもと、有機栽培や無農薬といった言葉が農業の世界に広まる遥か以前の1967年に自然米だけを使った「金寶自然酒」を発売した郡山市田村町の酒蔵、仁井田本家。10年ほど前からは醸造量のすべてを自然米で仕込むこだわりのもと質の高い日本酒を送り出し、多くのファンを獲得しています。月に一度開催される「にいだのスイーツデー」など蔵で開催されるイベントには、市内、県内はもとより全国各地からたくさんの人々がやってきます。

現在、仁井田本家が主力としているブランドは「にいだしぜんしゅ」「おだやか」「田村」の3種類。その中でも「田村」は、蔵がある田村町金沢地区の自社田や地元の契約農家の田んぼで穫れた酒米だけを使って醸造された、その名の通り生まれも育ちも田村町の酒として人気です。

今回は、その「田村」に使用する酒米を自社田にて生産する有限会社仁井田本家あぐりの吉田和生さんに、会社として、また仁井田本家の酒造りを支える一人として、どんな想いで酒米づくりに取り組んでいるのかをうかがいました。

経験ゼロから米づくりの責任者に

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仁井田本家のホームページには「田村町に仁井田本家があって良かった!と言って頂ける蔵になる」という<夢>が掲げられています。地元に根差し、地元の宝となる酒を造り続ける酒蔵としての想いの一端は、吉田さんが中心となり酒米をつくる仁井田本家あぐりによって支えられています。

しかし吉田さんは、仁井田本家に就職し田んぼを任されるまで、米づくりを含め農業にはまったく関わったことがなかったと言います。

「入社して最初の1年は醸造に関わりましたが、当時米づくりに関わっていた前任者が5年契約を満了して退社するのに備えて後任者を育てることになり、その時会社で一番若かった自分に“やらないか”ということで声がかかりました。もともと実家が酒販店で、会社に入ったのもここの営業さんが拾ってくれたようなものでしたから、酒造りに関わることには違和感はありませんでしたが、まさか酒を通り越して米に関わることになるとは思ってもいませんでした。」

前任者の最後の1年間は吉田さんにとって米づくりの研修の1年間となり、文字通りゼロから学んだと言います。しかし、ゼロであったことが仁井田本家の米づくりに早く溶け込めた理由だったのではないか。吉田さんはそう振り返ります。

「種まきから田植え機の使い方、コンバインの乗り方、刈り取りまで、すべてを1年目に教わりました。もちろん米づくりは1年ですべてがわかるようなものではありませんので、2年目になり前任者がいなくなってからは地元の農家さんに聞いたり手伝っていただいたりしながら、経験を重ねて今に至っています。

ただ、うちは昔から農薬、化学肥料を使わない米づくりをしてきたわけですが、私に農業経験がまったくなく、農薬を使う米づくりを知らなかったことが、有機栽培や自然栽培を学ぶ上ではよかったのかなと思います。農薬や化学肥料を使ういわゆる慣行栽培を先に知っていたら、すんなり今の仕事に入れなかったかもしれません。」

“これは俺が造った”と胸を張って言える酒

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そうして米づくりに関わり、すでに8年。技術はもちろん天候にも左右される米の出来は毎年楽しみであり、また不安でもあると言います。

「当然ある程度の収量がないと仁井田本家として酒が造れませんから、そこが一番のプレッシャーですね。不作の年には一升瓶にして1,000本単位で酒の量が減ってしまうようなこともありました。天気は私たちにはどうしようもない部分もありますが、やっぱり申し訳ない気持ちにもなります。」

蔵のある田村町金沢地内に点在する自社田は合計6町歩(=6ha)、約70枚もあり、中には機械が入っていけない田んぼもあることから、春の田植えの時期や秋の稲刈りの時期には多忙を極めると言います。そんな時に頼りになるのは、やはり酒蔵の仲間達による役割の垣根を超えたつながりです。

「仁井田本家と仁井田本家あぐりは法人としては分かれていますが、仕事としての隔たりはありません。冬場は仁井田本家としての酒造りがメイン、夏は仁井田本家あぐりとしての米づくりがメインとなって、年間で仕事を分け合っています。もちろん私も冬場は酒造りの手伝いをしますし、夏場の草取りには酒造りの人達も手を貸してくれます。

最近は自社田を持つ蔵が少しずつ増えてきていますが、そもそも自分のところで作った米で酒を造るのが酒蔵の本来の姿だったはずなんですよね。今この時代にそれができる環境で働けるのは大きな誇りですし、一番のやりがいです。友人に“これは俺が造った酒だ”って胸を張って言えますしね。」

金沢地区の60町歩をすべて自然田に

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テレビで取り上げられるなどして人気に火がつき、かつては入手困難な酒として知られた「田村」ですが、吉田さんの尽力もあり酒米の生産が拡大したことから醸造量が増え、高い人気はそのままに、より手に入りやすくなってきました。一方、一部の田んぼではコシヒカリも生産。その米は社員のまかないや蔵で開催されるイベントで使われており、会社が目指す理想の姿である「自給自足の蔵」に向けた役割も担っています。

「会社では今、2025年に向けた夢として、この金沢地区にある60町歩の田んぼすべてを自然田にすることを掲げています。その全量を仁井田本家に預けていただければ一年分の酒造りが賄えますし、地域の農家さんの安定にもつながるはず。これは会社の夢ではありますが、私自身もそれを実現するために何らかの力になれればと思います。

以前、うちの社長が“酒造りは毎年1年生だ”というようなことを話していたことがありましたが、私は田んぼもそうだと思うんです。毎年始めてみないとわからないし、天気も違う。その中でいかに調整する技術を身につけていくかという点では、私にやれることはまだまだあると思っています。」

夢を持った人々が想いを込めて作る。そのストーリーがあることで、米もお酒もより味わい深くなるものです。仁井田本家のお酒は今や郡山が世界に誇るブランドの一つとなりましたが、その大きな広がりの基は、あくまで足元の大地に根差し地元の田んぼや地元の人々を大切にする、その精神にありました。

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有限会社仁井田本家あぐり
福島県郡山市田村町金沢字高屋敷139番地
TEL 024-955-2222
FAX 024-955-5151
https://1711.jp/

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<仁井田本家のお酒が飲める店、買える店>

取材日 2019.10.9
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)