#29 「お父さん、うちの野菜おいしいよね」―娘の言葉で目覚めた後継者の意識
きゅうり農家
松井弘信さん
まだ夜が明けきらぬ7月のとある日の午前5時。郡山市三穂田町のきゅうり農家、松井弘信さんの納屋を訪ねると、山積みされた獲れたてのきゅうりを箱詰めする松井さんの姿がありました。
「一番早い時期には夜中の2時から箱詰め作業をしています。」
手を休めることなく一本ずつ丁寧にきゅうりを箱に運びながら、松井さんがそう教えてくれました。最盛期には1日に2度収穫し、睡眠時間は3時間ほどしか取れない日もあるといいます。松井さんを始めとする多くのきゅうり農家のみなさんのこの努力のおかげで、スーパーには毎日新鮮なきゅうりが並び、わたしたちの食卓へと届きます。
ご両親も長くきゅうりを手掛けてきた松井家。子供の頃には「うちはきゅうりを作っているせいで遊びにも連れて行ってもらえない」と思い、そのせいできゅうりが嫌いだったと笑います。
そんな彼がなぜきゅうり作りを継いだのか。そこには、福島の野菜のおいしさを守り受け継がなければいけないという、農家に生まれた彼だからこその使命感がありました。
10年強のサラリーマン生活を経て農業の道へ
松井さんは、高校を卒業してから10年以上、郡山市内の酒販店に勤めるサラリーマンでした。農業高校を卒業はしたもののそれを仕事にしようと思ったことはなく、「継ぐなら定年後」と思っていたそうです。
その想いに変化をもたらしたきっかけは、東日本大震災でした。
「震災が起きて、原発事故があったじゃないですか。それまでは畑に行って野菜を取って食べるのが当たり前だったのに、ニュースでは県産のものが危ないとかスーパーに行っても県産品がないと言っている。でも2~3年経てば大丈夫なんじゃないかと軽い気持ちでいたんです。でも3年経っても県産品というだけで避けられてしまっていて。
そんな時に娘がボソッと言ったんです。“お父さん、うちの野菜おいしいよね”って。それが農業を始めるきっかけです。子育てもそろそろ終わるかなという時期でもあったので、じゃあ自分でおいしい野菜を作って出してみようかと。むしろこれがチャンスだと思いました。放射能検査や農薬検査のいろいろな基準もあるし、その頃からFGAP(*)も始まっていたので、そういうものを取得しながらであれば、安心安全に提供できて、かつ付加価値も付けられるのではないかと思いました。」
農家の後継者としての意識に目覚めた松井さんは2017年、サラリーマンをやめ農業に転身。露地栽培のきゅうり作りをご両親に学ぶ一方、地元のハウスきゅうり作りの名手にビニールハウスでの栽培のノウハウを教わりながら、生産者としての道を歩み始めました。
いいものだけを送り出すポリシーでA品率9割
しかし、1年目は想像をはるかに超える失敗だったと振り返ります。
「とにかく、ならなかったんです。大きくならなかったり曲がってしまったりして、標準的な収量の5分の1ぐらいしか取れませんでした。これからどうやって生活していこうかと本気で考えましたね。」
不作の理由は、成長に必要な葉を「邪魔だ」と考え、すべて切り落としてしまったことにありました。ハウス栽培を教わったご近所の名手からは、きゅうり作りにまつわるこんな話を聞いたと言います。
「葉っぱっていうのは、きゅうりにとっては指や腕のようなものなんだよと。指1本折られたら誰だって痛い。それがストレスになって曲がるんだよと教わりました。それ以来、できる限りきゅうりに負荷をかけない栽培を心がけています。」
最盛期は時間との、また体力との勝負となるきゅうり栽培。前日夕方に収穫したきゅうりを2時起きで箱詰めし、それが終わると畑に出て収穫。再び箱詰めして出荷をし、出荷から戻るとすぐに畑に出て水やりや手入れを施します。夕方にその日2度目の収穫をおこないますが、遅い日だと夜の8時ごろまで作業が続くそうです。露地ものは6月1日に苗を植えて9月半ばまで、ハウスは7月上旬に植えて11月いっぱいまで、およそ5ヶ月にわたって1日も欠くことなくきゅうりと向き合う日々が続きます。
その努力は、品質の向上に確実につながっています。きゅうりはその形状や色、曲がりの程度などによってA品・B品・C品と選別されます。多くの生産者は出荷量におけるA品率が6~7割のところ、松井さんのきゅうりは約9割がA品。「いいものだけを送り出す」ことをポリシーに、手間暇かけた栽培と厳しい選別を自らに科しています。
「農業を継ぐと両親に話した時には“本当にやんのか”って言われましたけど、確かにキツいなと(笑)。毎年天候が違いますから正解も毎年違って、賭け事をやっているようなものです。でも、いろいろ教わりながらなんとか安定した収量が見込めるようになってきました。両親も今では“継いでもらってよかった”と言ってくれています。両親は今はコメ作りがメインですが、お互いに手を貸し合いながら作業をしています。」
「きゅうりといえば郡山」と言われるように
(奥様の恵子さん、今年誕生したお孫さんの紬ちゃんと)
松井さんを農業の道へと突き動かした、福島の野菜への想い。震災から10年が経った今、置かれている状況に変化を感じることはあるのでしょうか。
「コメの全量全袋検査(*)はなくなりましたけど、全体にはあまり進んでいるとは言えないかもしれないですね。でも、せっかく自分で作物を作っているわけですから、地元を大切にしながら、地場産品をもっと有名にできるような取り組みをしていければと思っています。」
今年は初めてのお孫さんの誕生といううれしい出来事もありました。5年目のシーズンとなり、ようやくつかんできた手ごたえのもと、現在約10アールの作付面積を来年は倍ほどに増やす計画もあると言います。
「来年にはいよいよFGAPを取得し、より安心安全なきゅうり作りを進めていきたいです。福島のきゅうりといえば須賀川のきゅうり、いわゆる岩瀬きゅうりがよく知られていますが、いつかは“きゅうりなら郡山のきゅうり、三穂田のきゅうりだ”と言われるよう、これからも勉強を続けようと思っています。」
_____
松井弘信
福島県郡山市三穂田町野田
※松井さんのきゅうりはJAを通じ県内外のスーパーなどで販売されています。また「農産物直売所 ベレッシュ」(福島県郡山市八山田西一丁目155 Tel 024-973-6388)では松井さんのきゅうりを使った漬物や佃煮が販売されています。
_____
<動画>ショートムービーをご覧ください。
<放射性物質に対する対策について>
松井さんはきゅうりの出荷に際し放射性物質検査を実施。安全安心なきゅうりを出荷しています。
「ビニールハウス建設前には30センチほど表土を削る除染作業を行いました。またきゅうりは毎シーズン初出荷前にJAに検査してもらっています。
震災後の福島の生産物について、個人的にはあまり気にしていなかったのですが、周りの状況がなかなか改善せず、福島の農産物がなくなってしまうのでは思いましたね。
自分は生産者でもありますが、同時に消費者でもありますので、そういった視点からも安心安全なものを作りたいと思っています。規模を大きくしていくというよりは、手の届く範囲で、納得したものを生産できるような地に足の着いた仕事をしていきたいです。」(松井さん)