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#20 家族に息づく開拓者精神を胸に目指す「地域×農業」の新しいコミュニティづくり

コーワファーム(有限会社コーワ建設工業)
塩澤孝さん、晃平さん

郡山の市街地を見下ろす阿武隈川東岸の高台。遠くに安達太良山や奥羽山脈も見渡す丘の上の畑を訪ねると、そこに郡山ブランド野菜の枝豆「グリーンスウィート」を収穫する親子の姿を見つけました。遊休農地となり荒れ放題だったこの土地を借り受け、2人がゼロから野菜作りをスタートしたのは2016年のこと。翌年から作付けを始め3年が経ち、知識の面でも収入の面でもようやく農業として形になってきたといいます。

「どんな仕事でも立ち上げて3年は必ず苦労する。それがわかっていても、やはりいつかは農業をやりたいと思っていた」と語る父・塩澤孝さんは、建設、土木、解体、水道工事などを手掛ける会社の創業者であり経営者。共に畑で汗を流すのは、長男の晃平さんです。二人はなぜ農業に関わることになったのでしょうか。そして、その未来にどんな想いを抱いていらっしゃるのでしょうか。

震災後の郡山の再生のために農業の事業化を決意

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孝さんは須賀川市で3代続く農家の生まれ。お爺様は戦中に満州開拓に関わり、復員後は安積疏水の末端に位置する土地で田んぼを拓いた、まさに開拓者たる人生を歩みました。孝さんは20歳で郡山へ移った後、1995年に市内で「有限会社コーワ建設工業」を設立。四半世紀にわたり建設、土木の世界で実績を重ねてきましたが、仕事が落ち着いたらいずれは農業を、という想いを以前から抱いていたといいます。

「ただ、事業にしてまで農業に関わるつもりはなかったんです。あくまで趣味として、会社の土地の一角でも使ってやろうかと。」

その想いが変わり事業として取り組むきっかけになったのは、東日本大震災でした。

「郡山で会社を立ち上げ郡山のみなさんに育てていただいた者として震災後に第一に考えたのは、やはり郡山の再生、創生です。経営者仲間や先輩たちと避難所での炊き出しにもずいぶん参加しました。その中で農家のみなさんと出会い風評の話を多く耳にしたこともあり、郡山の未来を考えるならば、やはり生活の根幹である食、農業をまず復興させるべきだろうと思うようになりました。そして、そのためには趣味ではなくしっかり事業として農業に向き合う必要があると考えました。」

そのスタートの地として借り受けたのが、グリーンスウィートを収穫していたあの畑でした。そこは、国の補助事業によりバブル期の始め頃に農地として整備されたものの長く遊休地となっていた土地。自分の心と体を育んでくれた畑が活かされずに放置されているのは忍びないと、まずはその土地を再び整えることから作業は始まりました。

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農業は家や地域を大事にすることで技術が磨かれるもの

何年も放置され、人が分け入ることも難しいほどに草木が茂った土地。その土地を拓く作業に駆り出されたのが、当時大学4年生だった晃平さんです。

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大学では経営学を学び、卒業後は父の会社に就職することが決まっていた晃平さん。

「まさか農業をやるとは思いませんでした。父が言うので、“とりあえずやってみっか”ぐらいの話で(笑)。」

と振り返りますが、大学最後の夏休みに荒れた農地の草刈りに汗を流すうち、「せっかくやるなら」と思いを固め、卒業後は建設の仕事もあり多忙な孝さんに代わって農業専任で畑と向き合うようになります。最初はかなりの手探り状態。半分は人に聞き、また半分はインターネットで調べるなどしながら野菜作りを始めたといいます。

そのうち、種の購入でたびたび訪ねていた鈴木農場の鈴木光一さんと交流を深め、光一さんが会長を務める郡山ブランド野菜協議会に参加するなどしながら、少しずつ作業を覚えていきました。

「作ることはもちろん、販路についても最初は苦労しましたね。高く買ってもらうことができず、“この売上で本当に続けられるのか”と悩んだ時期もありましたが、その点でも光一さんやブランド野菜協議会のみなさんとのつながりで販路を教えていただき、3年経って何とかやっていける見込みがついてきました。」

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高齢化が叫ばれて久しい農業の世界ですが、晃平さんはその中でひときわ若い世代。しかし、他の農家さんや関連団体と積極的に交流し、人脈を広げています。晃平さんのそんな働きぶりを見て、孝さんはこう語ります。

「例えば家の基礎工事の仕事が年間100回あるとして、それだけの経験を積めば当然職人としての腕も上がっていきます。でも作物は基本的に年に一回しか実らないですから、100回練習しようと思ったら100年かかる。もちろんそれは不可能なので、そのぶんいろんな人と付き合い、いろんな経験を積みながら最善の方法を見つけていくことは欠かせないと思います。

それに農業というものは、家や地域や伝統や先輩を大事にする、その意識の中から技術が磨かれるものだと思いますから、地域の人たちと関わりながらやっていくのはとてもいいことだと思いますね。」

障がい者や高齢者が働ける農業モデルを作りたい

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孝さんは今、農業を通じて地元に雇用を生み出すこと、またそのことによって畑を中心に人々が集うような新しいコミュニティを作ることを目指しています。それは、「郡山モデル」とも言うべき新しい農業のあり方の提案でもあります。

「以前、ボランティアで市内の養護学校の支援に関わった時に、障がいがあるために働く場所がない人が郡山にもたくさんいることを知りました。また、まだまだ元気に働ける高齢者の方もたくさんいらっしゃいます。そうした人々が大きなやりがいを持って働ける場所を郡山に作れないだろうかと考えたことも、農業を始めたきっかけの一つです。

農業をやってみると心から実感しますが、芽が出ればうれしいし、花が咲けばもっとうれしい。実って食べればさらにうれしいし、買ってもらえれば最高の喜びになります。社会と交わる仕事として、これ以上のやりがいはないですよね。そんな気持ちを一緒に感じることができる場所を作り、成功事例として全国に発信したいんです。」

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一方の晃平さんも、農業に携わる立場としての矜持きょうじをますます高めています。作付面積は約1町5反歩。グリーンスウィートの他、「佐助ナス」、玉ねぎの「万吉どん」、サツマイモの「めんげ芋」といった郡山ブランド野菜を中心に、生産する野菜の幅もどんどん広がっています。

「農業は何世代も経験を重ねていく仕事だと思うので、始めたからには極め、継続する事業にしていきたいと思います。今は建設や解体の仕事があるおかげで成り立っているところもありますが、徐々に下地が整ってきているので、いずれは農業が会社の大きな柱となるようにしていきたいです。商品開発にも取り組んでいきたいですね。」

さらに孝さんは、新しい組織「開拓社」を立ち上げ地元米の流通事業を始めるなど、農業に取り組む意欲はますます高まっているようです。次男の大地さんも現在農業の大学に在学中で、いずれコーワファームの一員として大きな戦力となる予定です。

お爺様の代から受け継がれてきた塩澤さん一家の開拓者精神。家族に宿るそのスピリットが今、郡山の農業に新しい風を吹かせようとしています。

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コーワファーム(有限会社コーワ建設工業)
福島県郡山市御前南5丁目58
Tel 024-973-6921
Fax 024-973-6922
http://kowa-kk.jp/

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<コーワファームの野菜が買える場所>

■ヨークベニマル(大槻店、希望ヶ丘店、荒井店、堤下店、横塚店)
https://yorkbenimaru.com/store/fukushima/?area=south_area
※出荷状況によります。

■有限会社コーワ建設工業
福島県郡山市御前南5丁目58
Tel 024-973-6921
http://kowa-kk.jp/
※購入ご希望の際は事前にお問い合わせください。

■開拓社 WEBSHOP
https://shop.kaitakusya.jp/

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取材日 2020.8.5
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)