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♯40 横浜から母のふるさと郡山へ。農業は「自分のやり方一つで未来をいくらでも変えられる仕事」

きゅうり農家
濵野はまの 泰之さん

郡山市東部、市街地から見て阿武隈川の対岸に位置する横川町。郡山駅から直線距離で2kmあまりの近さですが、起伏のある土地には今も多くの緑が残ります。

「以前このあたりの酸素濃度を測ったら、酸素カプセルに近いほどの酸素濃度がありました。そのせいか、他の場所からここに来て泊まると、みなさん“熟睡できる”と言ってくれるんです。」

そう教えてくれたのは、この地で2018年に農業を始め、現在主にきゅうりを栽培する濵野泰之さん。きゅうりは成長が非常に速く、最盛期の収穫作業は早朝と夕方の1日2回。年間10~15トンのきゅうりを出荷しています。

濵野さんが育ったのは神奈川県横浜市。都会育ちの彼がなぜ今、郡山で農業に励んでいるのでしょうか。またどのようにして農業の経験を積み重ねているのでしょうか。

頑張った結果が目に見える仕事への憧れ

濵野さんが現在暮らしているのは、築100年を誇る古民家。濵野さんのお母様の実家です。玄関の土間や大きな神棚に古い農家らしい佇まいを残すこの家は、濵野さんにとっては子供時代からの大好きな遊び場でもありました。

「子供の頃は、お盆や年末年始になると必ずと言っていいほどここに遊びに来ていました。小学2~3年生の頃、母に“福島に行ってくるから新幹線代ちょうだい”と言って、夏休みに入ると同時にヨーイドンでここに来たこともありましたね。兄と妹がいますが、おそらくきょうだいの中で僕が一番、ここに来たいという気持ちが強かった。ここの空気が肌に合っていたんだと思います。

その要因はいろいろありますけど、とにかく、じいちゃんとばあちゃんがやさしかったこと。家の中を駆けずり回っても、遊んでいて思わずガラスを割ってしまっても怒られない。自由に遊ばせてもらえたことが大きかったと思います。」

その後、高校までは野球に励み、社会に出てからはスポーツインストラクターや接客業、営業職などに従事。年齢を重ねる中、郡山に来る機会も減りましたが、2017年の夏、久々に足を運んだことが、濵野さんを農業の世界へと導きます。

「会社を辞めて次の職場を探していた時、先に郡山に引っ越していた母から、“時間があるなら畑を手伝ってほしい”と誘われたんです。何日か作業を手伝う中、だんだん昔の記憶がよみがえってきて、“この生活も悪くないな”と思うようになりました。

会社勤めの頃は、上司の仕事が終わるまでは部下も帰れなかったり、理不尽に思うことが多かった。でもここでは一人ひとりが黙々と作業をして、自分が終わりたい時間に作業を終えられる。そんな仕事への憧れもあり、少しずつ長居するようになりました。」

とはいえ、都会での生活を捨てて農業に取り組む決断は決して軽いものではないはず。そこで濵野さんの背中を押したのは、叔父さんの言葉だったといいます。

「高齢化社会が進んで農業の担い手が減る中、これからますます必要とされる仕事であること。やったらやっただけ、頑張ったその結果がちゃんと目に見える形で収入に反映されること。自分のやり方一つで未来をいくらでも変えられる仕事だということ。そんな話をしてもらいました。その話と、ここで過ごすことの心地良さが合わさって、気がついたら本気で農業に取り組もうと思うようになっていました。」

濵野さんはその年のうちに郡山への移住を決意。翌2018年から本格的に農業に取り組むことになります。

最初は1日の作業の6割しかできなかった

農業を始めた当初は多くの品種を栽培し生計を立てようと考えていた濵野さん。トマト、ホウレンソウ、小松菜、ブロッコリー、カリフラワー、インゲンなど、その時期その時期に合ったものをいろいろと手掛ける中、特に「肌感覚で性に合った」のがきゅうりでした。しかし、最初はやはり戸惑いの連続だったといいます。

「会社勤めの経験を活かして大まかな年間スケジュールを立て、そこから多少の微調整をしつつ作業を進めることにしました。でも、すべての勝手がわかりませんでしたから、どの作業にも通常の1.5倍から2倍の作業時間がかかってしまう。“今日はここまで作業したい”という作業が1から10まであるとして、最初の頃は6ぐらいまでしかできませんでした。残りの4を次の日にやろうと思っても、結局次の日も6しかできなくて、残りの4が毎日積もっていってしまう。結果、いろんな作物をダメにしてしまいました。何回心が折れそうになったかわかりません(笑)。」

2年目はその経験を活かし、インターネットやSNSも活用しながら栽培方法を研究。試行錯誤の結果、6までしかできなかったものが7~8まで、時には10まで、さらに作業が進んで10を超える作業ができる日も増えていったといいます。3年目には作業時間の短縮だけでなく、効率の悪い作業や利益に見合わない作物の栽培をやめる判断もできるようになりました。

記録よりも経験則で判断しなければならない仕事

毎年成長を続ける濵野さんの野菜作りですが、それでもやはり苦労するのは天候との戦い。ある程度の経験を積み安定した収量も見込めるようになってきた4年目には、水害で大きなダメージを受けました。

「うちのきゅうり畑は少し傾斜があって、一ヵ所に水が溜まってしまいやすいんです。その水が畑から抜けなくて、根っこが呼吸できなくなってしまった。根っこも人間と同じで、水の中に浸かっていると息ができません。その状態が長く続いてしまって、多くのきゅうりが駄目になってしまいました。

天候は毎年変わるから、どんなに栽培記録を残してもあてにはならないし、自分の経験則で判断しないといけない。いつもお世話になっている種屋さんからも言われていたことでしたが、それを身をもって学んだのが4年目でした。」

そして5年目。1年を通した作業の流れはもちろん、天候に合わせた栽培の取り組みにまで配慮できるようになり、少しだけ時間に余裕もできた濵野さん。冬場の農閑期には竹細工の彼岸花を作る仕事も始めました。

郡山市の周辺では、かんな屑のように薄く削った木を赤や黄、緑や紫に染めて2枚重ね合わせて竹の柄をつけた造花の彼岸花を墓前に飾る風習があります。地域で古くから続く伝統的な手仕事ですが、これも農業と同様、高齢化による人手不足の状況にあります。こうした地域の仕事にも積極的に取り組みながら、濵野さんは少しずつこの地の未来の担い手として活動の幅を広げています。

10年先、20年先の収益を見据えて農業に取り組みたい

順調に農業の経験を重ねる中、将来に向けた夢もいくつか描き始めているという濵野さん。その一つを教えていただきました。

「何も持たずにふらっと来て農業の体験ができるような、民宿のような取り組みを始めたいと思っています。よくある“○○狩り”のようなイベント的なものではなく、朝5時に起きて一緒にきゅうりをもぎに行くとか、個人農家のリアルな日常を体験できるようなことをやっていきたいです。」

また、手掛ける野菜についても将来を見据えたビジョンをすでに持っています。

「今、市場に出荷している野菜はきゅうりだけですが、少しずつ軌道に乗ってきたので、今後はあらためて種類を増やしていきたいですね。やってみたいのは、ミニトマトやアスパラガス、西洋野菜のロマネスコなどです。

長いパイプを地面深くに刺したり、しっかりネットを張ったりと、きゅうり作りは意外に重労働です。もちろん体が元気な限りはきゅうり作りを続けるとは思いますが、必ずどこかで限界は来るでしょうから、今からいろいろな野菜作りを経験しておき、収益のことも含めた10年先、20年先の展開をちゃんと考えておきたいと思っています。

この地域でも確かに農業に関わる人の高齢化は進んでいますが、まだまだ現役で頑張っている方もたくさんいらっしゃるので、そうしたみなさんと歩幅を合わせながら、少しずつ規模を大きくしていけたらと考えています。」


濵野泰之
福島県郡山市横川町
https://www.instagram.com/hama_panpika/
※濵野さんの野菜はInstagramのダイレクトメッセージで購入できます。


<動画>ショートムービーをご覧ください。

2022.10.20 公開
Interview / Text by 髙橋晃浩 (マデニヤル)
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Movie by 杉山毅登(佐久間正人写真事務所
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)


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