#31 トルコギキョウ作りの道は、父が家族に遺した大きなプレゼント
花き農家
中山 智さん
うねめ伝説発祥の地である郡山市西部・片平町の水田地帯の一角に建つ2棟のビニールハウス。中をのぞくと、白や紫、オレンジなど、さまざまな色の花が咲き誇っています。このハウスで育てられているのはトルコギキョウ。郡山市で栽培される花き類の中でも主要品種の一つとされています。
中山智さんは2019年に新規就農し、同年からこのハウスでトルコギキョウの生産に取り組んでいます。もともとコメ農家だった中山家に新しい作物として花き栽培を取り入れようと考えたのはご両親。その意志を継ぎ、少しずつ生産の数を増やしています。
そんな智さんの姿と、その日々を支える家族とのつながりを取材しました。
長女として農家を継ぐ使命感があったのかもしれない
智さんは、兼業コメ農家である中山家に4人姉妹の長女として生まれました。お父様の義夫さんからは「いつかは農業を継ぐんだよ」と言われながら育ったと言います。昔気質の頑固な父だけれど、4姉妹はみんなお父さんが大好き。子供の頃からよく田んぼを手伝いました。
「田植えの時には苗を運んだり、稲刈りの時にははせ掛けを手伝ったりしました。道理が通らないことは絶対にダメという厳しい父なんですが、子供の頃から私も妹たちもみんな父にくっついて歩いてましたね。車を運転することが好きで、いま妹の一人が秋田にいるんですけど、忙しい仕事の合間を縫って“ちょっと行くぞ”と言って秋田まで連れて行ってもらったこともありました。」
学校を卒業後は市内の会社で販売員の仕事をしていた智さん。しかし今から4年前、そのお父様が亡くなります。“いつかは継ぐんだよ”のいつかは“今”かもしれない。義夫さんから何度も聞かされた言葉が胸をよぎりました。ご主人とも話し合い、智さんは自らが後を継ぐ決意を固めます。
「小さい頃に父の手伝いをしていた経験もありましたから“できるだろう”という感覚はありましたし、長女としての使命感のようなものもあったのかもしれないですね。」
義夫さんは晩年、それまでのコメ作りに加え新しい作物の栽培にチャレンジしようと考えていました。お母様の美惠子さんはこう振り返ります。
「新しいことをやるならお花なんてどう?って主人に言ったら、ものすごく乗り気だったんです。珍しいんですよ、そういう反応って。それで2人で栽培を習いに行って、“これだったら俺にもできる。家族みんなでやったらいいんじゃないか“ということで始めることにしたんです。」
郡山市では、野菜や花きを栽培する人材の育成のために「園芸振興センター」を開設し、生産者の技術研修や実証栽培などに取り組んでいます。義夫さんと美惠子さんもその園芸振興センターでトルコギキョウの栽培を学びますが、そんな「これから」という時に義夫さんが死去。それでも勉強を続ける美惠子さんの誘いを受け、智さんもセンターで2018年から1年間、園芸カレッジ研修生としてトルコギキョウの栽培を学びました。
自然が相手ではどうにもならないこともある
園芸振興センターでは農業の基本から栽培方法、機械の講習まで勉強した智さん。しかし、栽培の現場は決してやさしいものではありませんでした。
「父は“俺ができたんだから誰でもできる”と言っていましたが、実際にやってみるとわからないことだらけで、どうしたらいいのかという毎日。機械の扱いもなかなか慣れないし、センターと家の畑とでは土の質も違うし、天気も日々違う。どこをとっても難しかったですね。始めてしまったからには後には戻れないと思って頑張りましたが、最初はとても苦労しました。
でも、ストレスなくのびのびやれている実感はあります。以前の仕事はお客様が相手だったので自分の頑張り次第というところもありましたが、農業は自然が相手なので自分がどんなに頑張ってもどうにもならないこともある。それが自分に合っているのか、ストレスなく仕事ができています。」
そんな智さんを見て、美惠子さんはこう語ります。
「継いでくれて本当によかったと思ってます。主人は昔の人でしたから土地が大事だっていう考えが強くて、土地が利用されずに荒れてしまうのが何より苦痛だったみたいです。それを継いでくれたわけですから、主人も喜んでいると思います。」
“きれいだね”ってひとり言のように花に話しかけています
1年目は何が何だかわからないまま終わったという智さん。それでも花は咲き、ハウスの前を行き交う人から「きれいに咲いたね」と声をかけてもらうこともたくさんありましたが、商品として満足のいくものは少なかったと言います。その後、園芸振興センターの指導員の巡回時にアドバイスをもらうなどしながら経験を重ね、徐々に収量を増やしてきました。花が咲くのは1年に一度。そうそう失敗はできません。美惠子さんと協力しながら花と向き合う日々です。
ハウスで花を摘み取ると、自宅の納屋へ運んで選別作業に入ります。花持ちをよくするために半日から1日かけて吸わせる調整剤には発色を良くする効果もあり、花はより鮮やかな色へと変化します。その後、余分な葉やつぼみを取り、花の色ごとに分けて出荷します。市場に出荷する際には明確な基準があり、花は3輪、つぼみは3個、茎の長さは60cm、70cm、80cmの3種類と厳密に定められています。茎もまっすぐに育てなければならず、そうした基準をクリアするのは簡単なことではありません。
一方、直売所へ出す花は複数の色を組み合わせた数本の束で販売します。その組み合わせを考える時間が、智さんと美惠子さんにとっての癒しのひとときです。
「もしかしたらこれが一番楽しい作業かもしれないですね。お花がきれいに整って、おめかしした感じになります。花が喜んでいるような気がして。」(美惠子さん)
「花を見ているとうれしくなりますし、きれいに咲くとそれだけで癒される。よくぞきれいに咲いてくれたね、という気持ちです。 “きれいだね“ってひとり言のように話しかけてみたり、母と2人で“この組み合わせ、きれいじゃない?”って言い合ったりしながら作業しています。」(智さん)
忙しい毎日。それでもやっぱり花が咲くことが一番うれしい
トルコギキョウの定植と収穫は短期集中。春には田植え、秋は稲刈りもあり、智さんと美惠子さんだけでは手が回りません。会社勤めをされているご主人がお休みの日には一家揃って、さらに妹さんやそのご家族、親戚のみなさんにも手伝ってもらいながら作業します。
「トルコギキョウ作りができているのは、家族やまわりのみなさんの助けがあるから。栽培は一人ではできないことばかりですので、本当に感謝しています。」
忙しい毎日の中で喜びを感じるのは、やはり花が美しく花を開いた時だと智さんは言います。そんな智さんに、美惠子さんはこんなエールを送ります。
「トルコギキョウを極めてほしいですね。同じ作るにしても、きれいなものじゃないと、また良いものじゃないと値段はつけられません。でも良いものができればみなさんに喜んでいただける。それを励みに頑張ってほしいなと思います。」
トルコギキョウの出荷時期は8月から11月頃にかけて。それに加え、冬場に向けては香りも魅力の花、ストックを栽培しています。今後は冬を越して翌年6月頃から花が咲き始める作型のトルコギキョウも作り、出荷できる期間を伸ばしていきたいと智さんは言います。
最近では小学3年生の息子、結貴君がお手伝いをする機会も増え、花作りが親子3代の毎日に潤いと強い絆をもたらしています。お父様が人生の最後に家族のために遺していった大きなプレゼントのようなトルコギキョウ。今日も中山さんのハウスで美しくまっすぐに育ち、私たちのもとへ届けられます。
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中山 智
福島県郡山市片平町
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<中山さんのトルコギキョウやストックが買える場所>
※概ねトルコギキョウは8月~11月、ストックは11月〜12月。天候により時期がずれる場合があります。また、日によって出荷がない場合もあります。
■旬の庭 大槻店
福島県郡山市大槻町字殿町64-1
Tel 024-966-3512
https://life.ja-group.jp/farm/market/detail?id=1008
■愛情館
福島県郡山市朝日2丁目3-35
Tel 024-991-9080
http://www.fs.zennoh.or.jp/product/aizyokan/
■あぐりあ
福島県郡山市安積町成田1丁目20-1
Tel 024-945-7483
https://life.ja-group.jp/farm/market/detail?id=1007
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<動画>ショートムービーをご覧ください。
<放射性物質に対する対策について>
もともとコメ農家だった中山家にとって、東日本大震災の発生、そして原発事故による放射線物質への対応も遠い世界の話ではありませんでした。
「原発事故により、放射線物質の検査が必須になったということは、農家にとっては大変なことだと感じました。ただ、裏を返せばきちんと検査をすることで、安心安全であるということを証明できるので、その点ではそこまで悪いイメージを抱くことはありませんでした。」(中山さん)
また、中山さんは震災後に新規就農されていますが、就農して感じたこともあったそうです。
「農家の皆さんは、自分たちの生産物を販売するにあたり様々な工夫をしているように感じます。手に取ってもらう工夫、食べてもらう工夫、リピーターになってもらう工夫…たくさんありますが、どれも自分が農業を続けていく中で参考にしたいと思いますね。
風評払しょくに向けての取り組みというと沿岸部や県北のPRが強い印象がありますが、郡山の農家の皆さんも、それに負けないくらい頑張っている人が多いと思います。私も、自分にできることをコツコツ継続していって、地元に根付いた農業をしていきたいですね。」(中山さん)