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#13 そりが合わなかったはずの亡き父。いま抱くのは父と同じ夢「三穂田の米農家のユニオンづくり」

有限会社安積ライスファーマーユニオン
安藤嘉行さん

郡山市三穂田町にある「深田ダム(深田調整池)」は、安積疏水によって猪苗代湖から引かれた水を郡山の水田に効率的に分配するため、1982年に完成した農業灌漑用ダムです。土を主な材料として作られた「アースダム」と呼ばれるタイプのダムで、その堤は全国3位の高さを誇っています(日本ダム協会「ダム便覧」より)。

その深田ダムがある三穂田町は、市内屈指の米どころとして稲作が非常に盛ん。安積ライスファーマーユニオンの安藤嘉行さんは、「このへんで水が来ないところなんてないですよ」と笑います。三穂田の米のおいしさの理由は、ダムから放流される豊かな水の恵みを受けていることにもあるのかもしれません。

安藤さんが就農したのは2013年のこと。7年間の農業従事の中でどのように米作りを学んできたのか、そして、若手農家としてどのように三穂田の米を広めていこうとお考えなのか、お聞きしました。

最初から自分が継ぐものだと思っていた

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この地に古くから続く農家の長男として生まれた安藤さん。自然豊かな三穂田の土地で、夏になれば近所を流れる多田野川で遊び、冬には雪の積もった田んぼでサッカーをして遊んだと言います。高校を卒業すると明治大学農学部に進学。農業経営について学びました。

「最初から自分が継ぐものだと思ってましたね。おじいちゃんや親からの洗脳なのかわかりませんけど(笑)。農業に対する反抗感も正直ありましたけど、かと言って他に特別やりたい仕事もなかった。仕事はこれなんだって、本当に刷り込まれたのかもしれないです。

ただ、本当に忙しい田植えの時に少し手伝うぐらいで、子供の頃に何か作業を頼まれたということはほとんどなかったです。そういうことはあまりさせないというのが、うちの親の主義だったらしくて。大学も確かに農学部には進みましたけど、実際の生産ではなく農業経済を学ぶような内容だったので、就農するまでは米作りについて何の知識も持っていませんでした。」

地元に戻る決意をしたその時に震災が発生

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卒業後は、創業100年を超える精米卸販売の老舗、株式会社神明に入社。7年間、神戸で暮らしながら仕入れや精米工場の管理などに従事し、そろそろ地元に戻って農業を継ごうとしていた、まさにその時に東日本大震災が発生しました。

「もともとそんなに外で長く働くつもりはなかったですし、いずれは実家に戻ると会社にも伝えていて、丸5年を機に退職を決めていたんです。もう会社に居場所はないし、かと言って福島の農業がどうなるかもわからない。そんな中、会社は僕の状況を理解して、そのまま神戸で働かせてくれました。本当にありがたかったですね。

帰って来たのはそこから2年後でした。まだ風評もひどくて、将来の目途が見える時期ではありませんでしたけど、こっちに戻ってやれることをやったほうがいいんじゃないかと少しずつ思うようになったんです。」

父と毎日のようにケンカ。辛かった就農初期

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サラリーマン生活から農家へ転身した安藤さん。最初は体力的にも精神的にも「キツかった」と振り返ります。

「それまでは本当に気楽に生活していましたからね。それに、ちゃんと手伝った経験もないから、何をしたらいいのかもわからない。見ているのと実際にやってみるのとでは感覚がぜんぜん違いました。

それと、これが一番苦労したことなんですけど、父親とまったくそりが合わなくて。背中で語るつもりだったのかわからないですけど、ほとんど教えてくれないんです。あれをやれ、これをやれというだけで細かい説明もなく、“あとは自分で考えろ”みたいな感じ。それがもうとにかく気に食わないんです。言うこともコロコロ変わったりするし。

こういう理由でこれをやってるって言われればこちらもわかるんですけど、なぜやるのかわからない作業を淡々とやらされるというのがとにかく嫌でしたね。感覚的には毎日ケンカしていたような感じです。」

嘉行さんの父・嘉雄さんは、この周辺で稲作を営む仲間をまとめて生産組合を作るなど、この地域の米農家のリーダー的な存在でした。1995年にはその組合を法人化し「安積ライスファーマーユニオン」を設立。本格的に産直販売に乗り出し、独自のブランド米「美穂田米」を売り出すなど、その積極的な取り組みはテレビでも紹介されました。

しかし、嘉行さんが就農して3期目の2015年に嘉雄さんが死去。米作りの主体は嘉行さんへ移行します。

ようやく父の言葉の意味がわかってきた

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「いろいろぶつかったり文句を言ったりしましたけど、結局僕は親がやっていた米の作り方しか知らないんですよね。今やっている方法が効率的なのかどうかもわからない。でももしかしたら、父親がいろいろやってきた中でつかんだコツのようなものがすでに入った方法なのかもしれないとも思います。

父の時代から変えたのは、コシヒカリとひとめぼれと天のつぶの割合が8:1:1ぐらいだったの品種の比率を7:1.5:1.5ぐらいにしたことと、機械を新しくしたことぐらい。他の人は違う作り方をしているのかもしれないですが、父親を見て覚えた今のやり方で、これからもいい米を作っていきたいと思います。」

事業主になって4年。最近になってようやく、嘉雄さんが自分にかけた言葉の意味がわかるようになってきたと言います。

「米作りもいろいろと計画を立てて進めるわけですけど、天気にも左右されますし、田んぼの状態も常に一定ではないので、計画もその都度変わっていきます。リアルな話、天候不良で育ちが悪ければ何百万円単位で収益に影響が出る場合もありますから、計画の見直しは欠かせません。

自分が中心になって米を作り、そうした計画を見直していくうちに気がつきました。父親の言うことがコロコロ変わっていたのは、これが理由だったんだなって。」

三穂田から新しいブランドを発信したい

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現在、25町歩ほどの面積で米を生産する嘉行さん。嘉雄さんが名付けたオリジナルブランドの「美穂田米」も受け継ぎました。生産した米は主に安積ライスファーマーユニオンを通して県内外に流通されています。

「米農家のみなさんはみんな“自分の米が一番うまい”と言うと思いますけど、やっぱりうちもそう思います。科学的な根拠はないんですけど、“冷めてもおいしい”という声をよくいただきますね。そうした声はやっぱりうれしいし、うちだけでなく三穂田の米を“おいしい”と言ってもらえるのが、僕はうれしいです。」

そりが合わなかったという父・嘉雄さんが守った米作りの手法を継承しながら米作りに励む嘉行さん。最後にこれからの夢を聞くと、こんな答えが返ってきました。

「三穂田には米農家がたくさんあるんですけど、まとまっているとは言えません。それぞれがいろんな方向を向いて米を作るのではなく、三穂田の米農家全体で一つの方向を向いて、みなさんに食べてもらえる新しいブランド米を作って外に出していきたいと思っています。」

まさにこれは、かつて組合や法人を作った父・嘉雄さんの取り組みを思わせるもの。四半世紀の時を超え、三穂田の農業に新しい「ユニオン」が生まれる日も、そう遠くはないかもしれません。

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(写真:一緒に米作りに携わる中学時代からの友人、生方宏幸さん(右)と)

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有限会社安積ライスファーマーユニオン
福島県郡山市三穂田町山口字前芦ノ口98
Tel 024-953-2780
Fax 024-953-2781
E-mail aru588265@snow.ocn.ne.jp

<電話、FAX、ホームページから「美穂田米」の購入が可能です>
注文専用フリーダイヤル
Tel 0120-588-265
Fax 0120-588-266
URL https://mihotamai.sub.jp

取材日 2019.9.25
Photo by 佐久間正人(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)