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#2 300年・15代続く農家がピンチを乗り越えたどり着いた 「里の放牧豚」、絶品の旨味

株式会社ふるや農園
代表取締役 降矢セツ子さん

「私、豚のことなんて何も知らなかったのよ。」

そう言いながらハハハと笑う「ふるや農園」の代表取締役、降矢セツ子さん。郡山市田村町、阿武隈高地の山懐で300年・15代続く農家に嫁ぎ、40年余りになります。1982年にカイワレの大規模な水耕栽培を開始。近年はいちごの通年栽培に取り組み、凍らせたいちごをそのままかき氷にした「かきいちご」も人気ですが、もうひとつ、このふるや農園の経営の大きな柱となっているのが「放牧豚」。郡山市内でただ一軒となってしまった養豚農家として、現在約60頭の豚を飼育しています。

降矢さんが養豚に乗り出したのは10年前、2009年のこと。なぜ、降矢さんはこの時代に養豚を始めようと考えたのか。また、さまざまな農畜産物に次々に取り組むそのバイタリティーは、いったいどこから生まれるのか。そこには、郡山の、また日本の農業に降りかかるさまざまな試練を乗り越えてきた降矢さんならではの想いが隠されていました。

出会ってわずか半年での放牧スタート

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放牧豚の肉は一般的に、外で運動させることで筋肉が発達し、その筋肉に血管が張り巡らされ血液と共にアミノ酸が運ばれることで、豚舎で育てられた豚に比べ旨味のある肉になるとされています。スライスした肉の色は赤みが美しく、「牛肉だと言ってもわからないぐらい」と降矢さんは誇らしげに話します。

降矢さんご夫婦は2009年、“鳴き声以外は全部食べる”とまで言われる日本一の豚消費県、沖縄で放牧による養豚の様子を目にし、その光景に惹きつけられました。

「春頃だったかな、初めてそういうものを見て、すぐに“いいな、やりたいな”と思ったんです。一方では、“あったかい土地だからできんだべ”ってあきらめてもいたんですけど、北海道でも放牧をやってる人がいるっていうので、半信半疑で8月の末に帯広に見に行ってみたんです。そしたら本当にやってたんですよ。“ここでできるんだったら郡山でもできる。人ができるのに私にできないはずがない”って思って。私、なんでもすぐにそう思っちゃうので(笑)。」 


郡山に戻るとすぐ、泉崎村で養豚を営む知り合いに豚を譲ってもらえるよう交渉。沖縄で放牧豚を見てからわずか半年後の10月中旬、24頭の若い豚が降矢さんの休耕田にやってきました。乗せてきた家畜車の柵に豚の首が挟まってしまったり、下り坂を嫌がる特性を知らずに高台に豚を放してしまい抱きかかえて低い休耕田に下ろしたり、そのスタートは予期せぬ珍事の連続だったとか。餌のことを考えたのも豚を連れてきてからだと、降矢さんは少し苦笑いを浮かべながら当時を振り返ります。

「使っていない田んぼが草でいっぱいだったから、それを食わせていれば大丈夫だろうと思ってたわけ。草だけで育てられるなら丸儲けだと思って(笑)。でも、食欲旺盛でみるみるうちに草がなくなってしまってね。そのうちだんだん豚が痩せていくような気もして、ようやく“さあ困った”と。近くで酪農をやってる人から餌を分けてもらったり、いい餌屋さんを紹介してもらったり。今考えればびっくりするぐらい、何も考えてなかったんですね。」

発想の転換から生まれた加工商品「里の放牧豚」

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性格も、餌の与え方も、生きた豚と向き合いながら学ぶ日々。冬場は20cmほどの雪が積もるという気候環境のもと、放牧豚は初めての冬を越えます。翌2010年の4月に郡山市内のホテルで試食会を開催したのち、いよいよ最初の出荷へ。しかし、そこには次の壁が待っていました。

「豚は生後6ヶ月、体重110kgから120kgで出荷するのが一般的で、それ以外の体重だと規格外になってしまうんですね。規格外の豚は流通する時に等級をつけてもらえなくて、すると値段を叩かれるわけ。味がいいとか悪いとかは関係ないのよ。出荷する時にそれを初めて知ってね。

うちは、普通に出荷される豚よりも長く、9ヶ月ぐらいかけて豚を育てるんです。放牧の場合は肉がつくペースが遅いんで、出荷できる体重にするには普通よりも長く飼わなきゃいけないんですけど、長く飼うと6ヶ月を超えてしまう。一生懸命育てたのに規格外っていうだけで安く売るなんて耐えられなくて、“じゃあ持って帰るから”って。だから、うちでは最初から一頭も精肉の流通に乗せていないんです。」

精肉で出せないならばどうしたらいいか。頭を捻り、発想を転換して辿り着いたのが、加工品として一般消費者に直接販売する道でした。これなら、丹精込めて育てた豚が等級分けされることはありません。最初の数年、降矢さんの豚はすべて、ソーセージやサラミや生ハムなど通販用の加工品として出荷。こうして、コクと旨味が特徴の「里の放牧豚」の販売はスタートしました。

「だてに9ヶ月も放牧させてはいない」

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知識ゼロからひとつひとつ課題を解決し、加工品の販売という形で事業の道筋をつけた降矢さん。しかし、その矢先の2010年春、宮崎県で家畜の伝染病「口蹄疫こうていえき」が発生。さらにその1年後には震災と原発事故が追い打ちをかけ、降矢さんはまたも苦境に立たされます。

「この辺は最初から放射線量の数値がずいぶん低かったんですよ。事故の後もすぐに自然の放射線量に戻りましたし。それなのに商品にできない状態がずっと続いてね。そのまま飼っていても餌代ばっかりかかるから、安くたって商品にするしかなくて。1kgあたり100円ぐらいにしかならなかった時もありましたね。

ところが、安くしか売れなかったその肉を食べたお客さんから“この豚肉うまいね”っていう声が届いたんです。“ハンバーガーを作ったんだけど、冷めてからでもおいしいからこのお肉は本物だよ”って言って、作ったハンバーガーを持ってきてくれて。食べたら本当においしかった。長く飼うことによって肉質がどんどん良くなっていくということはわかっていたんですけど、あらためて自分が育てた豚のおいしさを知って、だてに9ヶ月も放牧させていないんだって自信を持つことができました。

キュウリだってナスだって、若もぎしたやつがおいしいかって言ったらそうじゃないでしょ? ある程度大きくなってからのほうが味が出るじゃないですか。味が凝縮されるって言うか。豚肉もそれと同じことだと私は思ってるんです。」

復興や風評被害の解消が少しずつ進む中、降矢さんの放牧豚の販売価格も回復。安全と共にそのおいしさも知れ渡り始め、ここ数年は精肉として市内外のレストランに出荷されるようにもなりました。「里の放牧豚」の通販セットも全国に多くのファンを獲得。スタートから10年目を迎えた今、降矢さんはようやく放牧豚に大きな手ごたえを感じています。

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純郡山産ワイン誕生に向けブドウづくりを開始 

放牧豚と並行して、カイワレや豆苗、サンチュなどの水耕栽培にも継続して取り組む降矢さんご一家。そもそも降矢さんが水耕栽培を始めたきっかけは、昭和55年から56年にかけて東北地方一帯を襲った冷害でした。主要な作物だったコメが大打撃を受けたことから、気候に影響されにくい栽培方法で安定した農業経営を手にしたいと考えての新規参入でした。

しかし、そのカイワレも1996年にはO-157騒動のあおりを受け、同年の生産量は前年比で85%も減少。こうしたいくつもの不運に見舞われたことで、降矢さんは、“人生、順風満帆な時代は続かない”と痛感したと言います。

「収入の柱を持たなきゃいけないということは、冷害が起きた時からずっと考え続けてますしね。ただ、農業っていうのは、計画的に進めようとしても絶対に儲からないんですよ。利益の出る構造ばかり考えてしまうと、入口からダメになっちゃうのね。だから、やってみてダメだったらやめるしかねえなってぐらいの気持ちで(笑)。行き当たりばったりというか、どうやったら問題をクリアできるかっていうことをその時その時に考えながら、なんとかやってきた気がしますね。」

今年からは純郡山産ワインづくりのためのブドウ栽培もスタート。降矢さんのバイタリティーは、これからも衰えることはなさそうです。そして、新しいものに果敢に取り組む、その意欲と情熱、好奇心は、今日の郡山を創り上げたフロンティア精神に通じるものなのかもしれません。

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株式会社ふるや農園
福島県郡山市田村町川曲字浮内50番地
オンラインストア(Yahoo!ショッピング)

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<降矢さんの里の放牧豚を扱っている飲食店>

Incontraインコントラ Hirayamaヒラヤマ
福島県郡山市赤木町11-20
Tel 024-983-5130
https://incontra-hirayama.com

Osteriaオステリア delleデッレ Gioieジョイエ
福島県福島市黒岩字堂ノ後22-1 1F
Tel 024-529-6656
https://www.facebook.com/OsteriaDelleGioie/

取材日 2018.9.28
Photo by 鰐渕隼理(佐久間正人写真事務所
Interview / Text by 髙橋晃浩Madenial Inc.
著作 郡山市(担当:園芸畜産振興課)