♯33 友や家族に支えられ挑んだゼロからの挑戦 大きく肉厚な湖南の「金賞」シイタケが生まれるまで
きのこの店 K/M.LAB
佐治卓郎さん
全国でも指折りのシイタケの産地である福島県。東日本大震災以前は木に菌を打ち込み栽培する原木シイタケの栽培が盛んで、都道府県別の生産量でトップ5に入る年もありました。震災後は原木栽培ができなくなり生産量が落ち込みましたが、おがくずやさまざまな栄養体を混ぜ込みブロック状に固めた「培地」で育てる菌床栽培に切り替えた生産者の努力もあり、再び全国上位の生産量を誇るまでに回復しています。
郡山市湖南町で菌床シイタケの栽培を手がける佐治卓郎さんは、震災後にシイタケ農家として新規就農した生産者。生まれ育った湖南町三代字御代の集落の一角にビニールハウスを構え栽培に取り組んでいます。以前フロンティアファーマーズで取り上げた同じ湖南町のシイタケ農家、小椋和信さんは佐治さんにとっては師匠でもあり、同じ地域で切磋琢磨しながらシイタケの品質向上に励む仲間でもあります。
「夜は寒くて日中は程よく暖かい。湖南はシイタケ栽培には最高の気候だと思います」と語る佐治さん。栽培1年目から全国のシイタケ品評会で金賞を受賞するなど、その大きく肉厚なシイタケは高く評価されています。そんな佐治さんのシイタケ農家への道のりや栽培のこだわり、将来の夢などをお聞きしました。
「シイタケで受けた恩はシイタケじゃないと返せねえぞと」
お父様の代からシイタケ農家だった小椋さんと佐治さんは実は幼馴染み。学校が終わると毎日のように小椋さんの家に行き、ハウスの周辺でキャッチボールをしたり、シイタケの収穫体験をさせてもらったりして過ごしたそうです。
一方、子供の頃からスキーが得意だった佐治さん。学生時代からアルペン競技の選手として活躍し、高校卒業後もスポーツ用品店で接客業務に携わりながら10年以上にわたり選手活動を続けました。引退後は広告関連の会社に転職し、広告業界の成り立ちや制作について知識を身につけます。一見農業に関係のなさそうな2つの職歴ですが、佐治さんにとっては農業の道に進むための大きな土台となっているそうです。
「スポーツ用品店時代は店舗の運営について知ることができ、どのように商品が流通して利益が生まれていくのかを学ぶことができました。また広告会社では、どんな広告が多くの人の目に留まるのかなど、農業にも活かせるデザインや宣伝について学ぶことができました。」
多くの生産者にとって課題である経営や宣伝の知識を得た佐治さん。2014年、広告会社を辞め、「いつかはやりたかった」というシイタケ栽培に向けた勉強をスタートさせます。修行先に選んだのは、幼馴染みの小椋さんの家でした。
「もちろん応援してくれましたよ。ただ、“本当にやる覚悟があるのか”とも言われましたね。シイタケで受けた恩はシイタケじゃないと返せねえぞと。確かにハウス1棟を建てるだけでも相当な費用がかかりますから、友人として心配してくれたんだと思います。」
「もしも失敗したら…」と考え眠れなかった夜も
そんな小椋さんの言葉にも決意が揺らぐことはなく、約2年半にわたり修行に励んだ佐治さん。しかし、その間も決して順調に経験を積んだとは言えなかったようです。
「朝は早いし夜は遅い。休みも自由に取れない。自分がやりたいことをやるのだから仕方ないと思う反面、正直何度も心が折れかけました。でも、わからないことばかりの自分に対して小椋君が厳しくもやさしく、何とか独り立ちできるところまで教えてくれました。
それに、“俺は絶対にやるんだ”とみんなに言って始めたので、引き下がるわけにはいかないプライドもありました。実は最初は家族一同大反対だったので。誰も農業をやってない家系なのにできるわけないだろうという意見を抑えてなんとか理解してもらった手前、自分からやめるなんて言えませんでしたね。」
その後、かつておじいさまとおばあさまが住んでいた家を解体し、その土地にハウスを建てることになりましたが、できる限り出費を抑えるために業者には頼まず自力で解体。そんな佐治さんを見た小椋さんを始めとする周囲の人々の協力にも恵まれ、2017年に念願のハウスが完成します。
「でも、内心は不安ばかりでした。出来上がったハウスを見て最初はうれしかったですけど、そのうち“もしも失敗したらどうしよう”と考えるようになって、夜眠れない時期もありました。今思えば、自分でもよく始める度胸があったなと思います。」
絶対に成功する方法が見つかったら面白さを感じなくなってしまうかも
そんな不安を紛らわすように無我夢中で栽培に取り組んだ佐治さん。小椋さんに学んだ技術に自らの考えやアイディアも取り入れました。例えば、菌床にできる限りストレスを与えず自然な成長を待つ小椋さんとは違い、佐治さんはある程度の刺激を菌床に与えながら成長を促します。
「指先で少しつつくだけでも刺激になりますし、あえて冷たい水を入れることも菌にとっては大きな刺激になります。ひと口にビニールハウスと言っても構造や場所によって発芽のしかたは変わってきますので、刺激を与えるか与えないかのどちらが正しいということではないんです。」
さらに、ハウスの室温管理にも気配りが欠かせません。大ぶりで肉厚なシイタケを育てるため、あえて通常よりも低い温度設定にすることでシイタケの笠が開くのを防ぎ、形のいい状態のまま大きく成長させます。
「ハウスの中とはいえ気候によって育ち方は違ってきますので、1年として、また1日として同じことはありませんし、これをやっておけば絶対に成功するという方法もないと思います。でも、だからこそ面白さを感じるんじゃないですかね。絶対に成功する方法が見つかったら、逆に面白さを感じなくなってシイタケ作りをやめてしまうかもしれません。」
ハウスの特性やその日その日の成長を見極めて育てた佐治さんのシイタケは1年目から高い評価を受け、菌床シイタケの全国品評会において全国でわずか5名しか選ばれない金賞を受賞。大きな自信を得ると同時に、家族の理解もより深まっていったと言います。非常に多くの注文が寄せられるようになった今では、パック詰めや出荷などを手伝ってくれるご両親の存在が欠かせません。
いずれはこの地域の農業を支える存在になりたい
さまざまな挑戦を重ねてシイタケ作りの経験を積んできた佐治さん。そのモチベーションとなっているのは、何よりもお客様からの声です。
「大きさに驚いて買ってくれて、食べて“おいしいね”と言ってくれて、また買いに来てくれる。そのすべてが大きなやりがいです。わざわざ県外から買いに来てくださるお客様もいらっしゃいます。自分が試行錯誤して作ったものを認めていただけることが純粋にうれしいですし、だからこそ、もっといいものを作り続けなければいけないという気持ちにもなります。」
今後はハウスを増やし、さらに収量を上げていきたいという佐治さん。その挑戦の一方で、シイタケの枠を超えた生産者のネットワーク作りにも取り組もうとしています。
「農業ってどうしても古いイメージやお年寄りの仕事のイメージがあるじゃないですか。でも一方では、かつての自分みたいに、農業をやりたいけど最初は不安だし始め方もよくわからないという若い人が少なからずいると思うんです。そういう若い人たちを集めて、今までのイメージとは違う“イケてる農業”というか、若い人たちが誇りを感じるような農業の雰囲気を作っていきたいと思っています。
さらに、いずれはこの地域全体の農業を支える立場にもなっていきたいです。ここで農業をやっている人たちはどんどん高齢化していて、せっかく野菜を作ったのに納品に行くことができず、近所に配るしか消費する方法がない人もいます。でもみなさん技術はピカイチなんですよ。本当においしい。そんな野菜を少しでも高くうちが買い取って流通させるような仕組みを作りたいです。
そして、そんな農業の達人たちの意見や技術を若い人達の技術の向上に活かすことで、この地域の農業をどんどん大きくしていきたい。それが今の一番の夢ですね。」
_____
きのこの店 K/M.LAB
福島県郡山市湖南町三代字御代1213
Tel 080-1655-0099
_____
<佐治さんのシイタケが買える場所>
■愛情館
福島県郡山市朝日2-3-35
Tel 024-991-9080
http://www.fs.zennoh.or.jp/product/aizyokan/
■ベレッシュ
福島県郡山市喜久田町字四十坦6-47
Tel 024-973-6388
https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/32031c/megumimise-beressyu.html
■おしゃれの店佐治
福島県郡山市湖南町三代字御代1213
Tel 024-982-2877
※生産状況によりお求めいただけない場合があります。
_____
<佐治さんのシイタケが食べられる場所>
■よし丸
福島県郡山市桑野2-9-1
Tel 024-934-4060
http://yosimaru.com/
■牛屋Hiko Ber(ヒコベー)本店
福島県いわき市平字田町17-1 堀江田ビル2F
Tel 0246-24-8505
https://hikobertaira.owst.jp/
_____
<動画>ショートムービーをご覧ください。
<放射性物質に対する対策について>
佐治さんはシイタケの出荷に際し放射性物質検査を実施。安全安心なシイタケを出荷しています。
「うちのハウスにある8,000玉ほどの菌床は、バイデルと呼ばれる栄養体やおがくずに放射線を抑える栄養体も混ぜ、機械で均等に撹拌したものです。今まで菌床は購入したものを使っていましたが、今年(2022年)には菌床を自分のところで作るための機械も導入し、より安全で自分の理想に近い菌床作りに取り組もうと考えています。
震災前は、農産物を作れば当たり前のように売れるものだと思っていました。震災後、自分が生産者となり、作ること、そしてお客様からおいしいと言われるまでの苦労がどれだけ大変なのかということが分かりました。
口で「安心」「安全」と言うだけでは、福島の農産物の風評払しょくや復興には繋がっていかないと思います。
お客様から認められる商品が売れて、福島の農産物が本当においしいとお客様自身に納得していただくこと、また福島の農産物が他県よりも厳しい審査基準をクリアしていることを生産者、販売先、お客様の皆様に知っていただき、納得してもらって初めて復興に近づくと思っています。まずはそれを実現するために行動していきたいと思っています」(佐治さん)