#5 郡山の農業の未来を担う“一番星”。 ブランド野菜を育てた父の背中を追い生産者の道へ
鈴木農場
鈴木智哉さん
農業界全体にとって深刻な問題である生産者の高齢化と後継者不足。農林水産省のデータによれば、年齢別の就業者数で見た場合、49歳までの農業就業者の数は全体のわずか16%。約7割を60代以上が占めています。一方、若手の新規就農者数は伸び悩んでおり、その流れに歯止めがかかる気配はありません。
そんな中、2017年、大学卒業後すぐに就農した期待の若手生産者が郡山にいます。彼の名は、鈴木智哉さん。「万吉どん」「佐助ナス」「あこや姫」など人気の郡山ブランド野菜を手がけ、その普及拡大において中心的な存在を担う鈴木農場の鈴木光一さんを父に持つ、郡山の農業界の言わばサラブレッド。鈴木農場の4代目にあたります。
しかし、農家の後継ぎの多くがそうであるように、彼もある時期はその進路に迷い、また震災の影響を肌で感じて家業を悲観した時期もありました。しかし今、葛藤や経験を重ねながら農業を学んできた彼には、新しい農業、新しい生産者のあり方についての、若い世代ならではの明確なビジョンがあります。その想いを存分に語っていただきました。
震災が、農家に生まれた責任感を芽生えさせた
物心ついた時にはもう畑で手伝いをしていたという智哉さん。畑に苗を植えたり収穫をしたりするのは、子供の頃から当たり前の日常だったと言います。忙しい時期には友達を呼んで一緒に作業したこともあったとか。しかし、中学生の頃までは「つまらない仕事、やりたくない仕事」だと思っていたと振り返ります。
「来る日も来る日も、学校が休みの日でも仕事がありますからね。みんなが遊びに行っているのになぜ自分はトウモロコシを植えなきゃいけないのか、とか、子供なりの葛藤がすごくありました。高校生になり、ぼんやりと将来の進路を考える時になって、ようやく農業というものが選択肢のひとつに入ってきた感じです。後を継ぐ決意はまだありませんでしたけど、農大に行ったからといって必ず農家にならなきゃいけないわけではないので、とりあえず、という気持ちで東京農業大学に進学しようと考えました。
ただ、震災は大きなきっかけになりましたね。高校2年生になる直前でしたけど、家の中でも、今まで3代やってきた農業をやめざるを得ないかという話にまでなりました。その時に思ったんです。“ただでさえ農業をやる人が少なくなってきているのに、もし福島の農作物がなくなってしまったら、この先野菜はどうなってしまうんだろう?”って。そこで責任感が芽生えたのも、農大に入ったきっかけのひとつでした。」
東京農大へ入学したのは2013年。まだまだ福島に対する風当たりは強く、智哉さんもあらゆるシーンにおいて逆風を肌で感じたそうです。
「初めて会話する人に“出身はどこ?”と聞かれて、福島と言っただけで一線を引かれてしまうようなことがたくさんあって、出身を言いづらい感覚はありましたね。大学に入ってからのある時期、福島の野菜を青山ファーマーズマーケットというマルシェで毎週売っていたんですけど、会計が済んで野菜を渡した後、“どこで採れた野菜なの?”って聞かれて、“福島です”って答えたら、“そんなの食べられないから全部返金して”って言われたこともありました。想像以上に世間は厳しいなあって思っちゃって。」
全国の農家で実習を重ね、大卒後すぐに就農
そんな智哉さんの心を癒し、農業と本格的に向き合う大きなきっかけを与えてくれたのは、大学で参加した部活動でした。
「村の会部という、創部から60年も経つ歴史ある部に参加しました。全国の農家さんに2~3週間、長い場合は1ヶ月ぐらい泊まり込みで実習に行くんです。30~40町歩もある大規模農場を経営する北海道の農家さんや、山形のさくらんぼ農家さん、長野の桃農家さん、南は屋久島のタンカン農家さんまで、いろんな農家さんを訪ねて実習しつつ、栽培のことから経営の考え方まで、いろんなことを教わりました。相手が学生だからか、農家さんも何でも教えてくれるんですよね。なかなか聞きづらい年収のこととかまで。
そういう話を聞くうちに、実家の経営にも取り入れられることがたくさんあるなと思うようになって。自分が学んできた中のいいところをどんどん鈴木農場に取り込んで、そこから自分のスタイルを創り出してみたいと思うようになったんです。自分なりの農業への関わり方が見えたというか。だから、村の会部での4年間は本当に大きかったと思いますね。」
2017年春に卒業後、すぐに帰郷し就農。父・光一さんのもとで経験を積む一方、以前は雑然と野菜が並ぶだけだった実家の前の直売所を新しくディスプレイするなど、若い世代ならではの視点で少しずつ家業に貢献するようになります。
「昔は“ザ・直売所”って雰囲気だったんですが、野菜を買いにいらっしゃるのは女性の方がメインですから、そういう人たちが気軽に来ることができて、しかも簡単に手に取ってもらえるような雰囲気づくりが大事だなって思って。いつかは店ごとガラッと変えたいと思っているんですけどね。」
早く同世代の仲間と新しいことをやりたい
父であり師匠でもある光一さんは、仕事をする上ではどのような存在なのでしょうか?。
「“好きなようにしろ”という感じで、自由にやらせてくれていますね。この世界ではすごい人だということは周りからも言われてよくわかっていますし、もともとコメ農家だったところから野菜にシフトして、軽トラの荷台に野菜を積んで売ってまわったり、倉庫のようなところで無人販売をしたりしながら今の土台を作って、その土台があるからこそ自分も農業を職業にできているわけですから、尊敬する部分はとても多いです。
ですから、今までのスタイルは今までのスタイルで敬意を持って継承しつつ、自分が伸ばせるところを探して、できることを少しずつやっていこうと思っています。」
今のところ、同業者に同世代の仲間はゼロ。仕事で交流する相手は100%が歳上の生産者たちです。その交流から、智哉さんはどんなことを感じているのでしょうか。
「みなさん人生の大先輩ばかりですから、毎日が勉強ですね。郡山の農家さんたちはみんなそれぞれに自分の芯を持っていて、いい刺激をいただいています。ただ、本音を言えば、僕も早く同世代の仲間と一緒に新しいこと、おもしろいことをやりたい。父も“ここまで郡山ブランド野菜を続けてこられたのは仲間の存在があったからだ”と言っているので、僕は僕の世代でいろんな繋がりを作っていきたいと思っています。」
農場の存在を意味のあるものにするために
鈴木農場が1年間に生産する野菜の種類は、なんと約300。光一さんがひとつひとつ積み上げてきた、財産とも言えるその野菜たちをより活かすためのアイディアも、智哉さんはすでに胸に秘めています。
「日本人が日常的に食べる野菜の数って、年間平均で14~15種類ぐらいしかないそうです。でもうちはせっかくたくさんの種類の野菜を作っているので、食の幅というか、普段食べる野菜の幅を少しでも増やすためのお手伝いができればと思っています。そのために、変わった野菜をどうやって調理すればおいしく食べられるのか、自分でも料理をしてみながら探って、お客さんに「こうして食べれば美味しいよ」って直接言える農場にしていきたいんです。それがみなさんの家庭の定番メニューになったりすれば、うちの農場の存在もより意味のあるものになるんじゃないかなって。
だから、お店に来てくれたお客さんと直接話しながら販売したり、マルシェにどんどん参加して食に興味のある人たちに知ってもらったりとかするような機会をもっと作っていきたいと思っています。」
20代前半とは思えない力強く頼もしいビジョンを胸に野菜作りに挑む智哉さん。その眼は、郡山の農業の未来に光る一番星のように、キラキラと輝いていました。
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鈴木農場・伊東種苗店
福島県郡山市大槻町字北寺18
※直売所あり。
※FAXまたはメール、Instagramからの注文も受け付けています。
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<鈴木さんの野菜が買える場所>
■鈴木農場直売所(詳細上記)
■ヨークベニマル(不定期)
店舗検索
<鈴木さんの野菜が食べられる飲食店>
■ラ・ギアンダ
福島県郡山市菜根4-25-15
Tel 024-983-7367
■ベストテーブル
福島県郡山市朝日1-14-1
Tel 024-983-3129
■トラットリアクッチーナ
福島県郡山市並木3-6-8
Tel 024-927-0665
■なか田
福島県郡山市清水台1-6-23(安積国造神社参道内)
Tel 024-922-2798