#54 農業が職業の選択肢として当たり前になる時代を。サツマイモで描く郡山の農業の未来
織田 裕志さん
秋も深まりつつある頃、郡山市内のある幼稚園の畑を訪ねると、子どもたちの元気な姿が目に飛び込んできました。収穫していたのはサツマイモ。4つの班に分かれてのお芋掘り大会に、みんな大興奮です。
お芋掘りが終わったら園庭へ。そこで子どもたちを待っていたのは、できたてほやほやの焼き芋でした。焼き芋を用意したのは、市内白岩町でサツマイモを生産する織田裕志さん。丸々と大きく育ったサツマイモを市内の直売所で販売する一方、キッチンカーで焼き芋の製造・販売も手掛け、各地のイベントなどで人気を博しています。
「郡山のサツマイモを多くの人に届けたい」と語る織田さん。その取り組みや農業にかける想いを語っていただきました。
大学アメフト部で活躍もケガで帰郷し農業へ
織田さんは兼業コメ農家の3人兄弟の末っ子として生まれ、子どもの頃から農作業をよく手伝っていたといいます。いずれは自分も農業をやりたい、やるものだ。子供の頃からそう自然に考えていたそうです。
がっちりとした、たくましい体格がひときわ目を引く織田さん。高校時代、その立派な体躯が帝京大学アメリカンフットボール部のスカウトの目に留まります。アメフトはまったくの未経験でしたが、入部の誘いを受け上京。部活動一色の大学4年間を過ごしました。高い能力を買われ、大学卒業後は実業団チームへの入団も内定。ところが、卒業目前に膝のじん帯を断裂したことで内定は取り消されます。アメフトへの未練を残しながら、織田さんは大学を卒業し帰郷。JAの職員となり、農家にさまざまな情報の提供やアドバイスをおこなう営農指導員として社会人生活をスタートすることになりました。
働き始めて数年が経った2016年に、織田さんは農家への転身を決意します。
それも、それまでの織田家のような兼業農家ではなく、専業農家としての転身。実家の田んぼを引き継ぐ一方、耕作放棄地となった近隣の田んぼも借り受けながら、専業コメ農家としての一歩を踏み出します。
しかし、農業を始めた当初のコメの売上は決して予想通りではありませんでした。自分のコメを買ってもらうには、まず自分を知ってもらわなければいけない。そのためには、他の生産者とは一線を画す、個性ある農産物を手がけなければ――。そう考えた織田さんの頭に浮かんだのが、サツマイモでした。
「営農指導員時代、郡山でサツマイモの生産を増やそうという動きがJA内であって、楽しそうだなと思っていたんです。春の植え付け作業や秋の収穫作業がコメと同じタイミングなので、その時期はかなり忙しくなりますが、一度植えてしまえば、あとは雑草の処理や追肥の作業だけで成長してくれます。これならコメを育てながらでもある程度の面積をこなせるのではないかと考えました。」
こうして2018年、織田さんのサツマイモづくりが始まりました。
7年の歳月をかけサツマイモに適した土へと改良
とはいえ、新しい作物への挑戦はそうたやすいものではありません。最初の年は獣害を防ぐ電気柵を張らなかったため、全体の約4分の1がイノシシに荒らされました。また、有機物が集積したさらさらとした黒土、いわゆる「黒ボク土(黒ぼこ)」が合うとされるサツマイモに対し、織田さんの畑はそうした土壌ではなく、質の高いサツマイモを育てるための土づくりも必要だったといいます。
「サツマイモに合う土にしていくためには、土壌に微生物を増やしていく必要があります。そのため、稲わらを敷き詰めてみたり、籾殻や米ぬかを入れてみたりといった作業を毎年繰り返しました。今も改良を重ねている最中ですが、7年目を迎えてようやく理想の土に近づいてきています。それにともない品質も収量もかなり安定してきました。」
通常のサツマイモの栽培では、肥料を与えるのは春のみ。しかし織田さんは、芋ができ始める夏の一番暑い時期に追加で肥料を与えています。それは、安定した成長を促す作業であることはもちろん、中南米原産で本来は寒さに弱いサツマイモに、郡山の気候に耐えられるだけの栄養を与えるための作業でもあります。
織田さんのサツマイモは市内の2つの直売所に出荷されていますが、より多くの人に手軽に味わっていただくために織田さんが導入したのが、キッチンカーです。直売所や市内各地で開催されるイベントに自らキッチンカーを運転して出向き、自慢のサツマイモを焼き芋として販売しています。甘く大きな焼き芋はどこへ行っても大好評。対面で販売することで織田さんの知名度も上がり、それがコメの販売拡大につながって、専業農家としての基盤が整っていきました。
食育の場を通じて出会いたい「未来の仲間」
サツマイモづくりと並行して織田さんが力を入れているのが、食育の取り組みです。2022年以降、冒頭で紹介したような幼稚園や保育園などでの食育体験に加え、障がい児支援団体やボランティア団体と協力して自身の畑に子どもたちを招き、春には定植の、秋には収穫の作業を体験してもらっています。
「専業農家になって最も大変さを感じたのは、人手の確保です。最近は農業の世界でも機械化が進み、サツマイモの掘り起こしも機械で作業しています。一方、掘り起こしたサツマイモを拾い集める作業は人の手でやらなければならず、手伝ってくれる人の存在は欠かせません。しかし、農業人口が減り続けている現状を考えると、自分が高齢になった頃には誰の手も借りられなくなってしまっているのではないかと、大きな危機感を持つようになりました。
そもそも農家の仕事は、近所同士、仲間同士で声を掛け合い、お互いに助け合うことで成り立ってきました。農業に興味を持ってくれる子どもが一人でも多く現れ、将来自分たちの仲間になってくれたら。そんな思いが食育の取り組みにつながっています。」
食育イベントには、発達障害などの障がいを持つお子さんも訪れ、全員が分け隔てなく、同じ畑で同じようにサツマイモの収穫を体験します。中には一つの場所にじっとしていることが苦手なお子さんもいるそうで、親御さんから「きっと5分と畑にいられないと思う」と聞かされてスタートすることもあるそうです。しかし、そんなお子さんでも2時間、3時間と集中して土いじりをしていることがあるのだとか。夢中になれる場を提供できていることに、織田さんは大きな喜びを感じています。
「収穫することって人間の一つの本能だと思いますし、目の前に食べ物があって、それが土の中から出てくることって、純粋に楽しいと思うんです。土に触れることが楽しいと感じる経験を増やしていくことで、子どもにとって農業が職業の選択肢の一つとして当たり前になる時代が作れたらと思っています。」
そのほか、子ども食堂への農産物の提供などもおこなう織田さん。これらの取り組みが評価され、2024年には郡山市の「まちづくりハーモニー賞*」を受賞しました。
*まちづくりハーモニー賞…地域の特性を生かした創造性豊かな活動や波及効果が期待できる市民活動を行い、魅力と活力あるまちづくりに先導的・先進的な役割を果たしている方を表彰する郡山市の事業。
https://www.city.koriyama.lg.jp/soshiki/33/4926.html
真面目にやれば作物は応えてくれる
サツマイモに注力する一方、コメ作りでも努力を重ねてきた織田さん。2024年には、郡山産コシヒカリのブランド米「あさか舞」の中でも特に厳格な7つの基準をクリアしたコメだけが選ばれる最高級ブランド「ASAKAMAI 887」の認定を受けました。コメ農家としての今後のさらなる飛躍が期待されますが、織田さんはすでに、その先の新たな展開も見据え始めています。
「子ども向けのイベントをやるなかで、実は子どもたちのご両親、私と年齢が近いような世代の方々のなかにも、農業に興味を持っている方がかなり多いことがわかってきました。いずれはそうした方々にうちの畑を貸し出して、私が指導をしながら、好きな野菜、食べたい野菜を自分で作っていけるような農園を作りたいと思っています。農園のそばにはドックランやバーベキュー場、安全に花火ができるスペースなどもあると楽しそうですね。農業を中心にしながら、まちなかではなかなかできない経験ができる場所を作れたらと考えています。」
大学時代のアメリカンフットボール部の仲間とは今も交流が続いているそうで、当時のメンバーが連れ立って織田さんの畑に遊びに来ることもあるとか。首都圏からでも気軽に遊びに来られるこの立地を活かし、上手に発信することで、郡山のサツマイモ、郡山の農業をもっと有名にできればとも織田さんは言います。
なぜそれほどまでに農業に駆り立てられるのか。織田さんに聞くと、こんな答えが返ってきました。
「作物は、真面目にやればやるだけ応えてくれますから。」
焼き芋屋 HOKKORI
郡山市白岩町
https://www.instagram.com/hokkori.2022
<織田さんのサツマイモが買える店>
※入荷状況によりご購入いただけない場合があります
■あぐりあ
福島県郡山市安積町成田1丁目20-1
TEL 024-945-7483
https://life.ja-group.jp/farm/market/detail?id=1007
■愛情館
福島県郡山市朝日二丁目3-35
TEL 024-991-9080
https://www.zennoh.or.jp/fs/store/aizyokan.html
※キッチンカーの営業予定やコメの販売についてはInstgagramをご確認ください。
https://www.instagram.com/hokkori.2022
<動画>ショートムービーをご覧ください。