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生産者インタビュー

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フロンティアファーマーズのメインコンテンツ。福島県郡山市で農業を営む皆さんにインタビュー取材しました。彼らがどのように「農」に取り組み、受け継ぎ、繋いでいるのか。彼らの生の言葉で…
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#インタビュー記事

♯37 湖南の地で挑む前例のないブドウ作り。厳しい冬の寒さが生み出すここだけのシャルドネの味

jardin du lac 小山順平さん 郡山市随一の絶景スポット、湖南町の「布引風の高原」。標高約1,000m 。33基の巨大風車が建ち並び、日本最大級の風力発電施設がある高原として知られています。眼下に猪苗代湖、その先には磐梯山を見渡し、夏はひまわり、秋はコスモスの花が彩る人気の観光地です。 その布引風の高原を見上げる田園地帯の一角に、若々しい枝を伸ばすブドウ畑が広がっています。植えられているのは、白ワインの代表品種「シャルドネ」。その数は約1,000本にも及びます。

♯36 長野生まれの新進イチゴ農家。セオリーに頼らず独自のスタンスで追及する理想の味

farm.舞木 宮島清人さん 日当たり、風、気温、土質。同じ作物でも自然環境一つで味や出来映えは大きく変わります。生産者のみなさんは、自分に与えられた環境の中でその気候に適応し、ベストな作物を私たちに届けるために日々努力や研究を重ねています。 三春町下舞木で2020年からイチゴ栽培に取り組む宮島清人さんは、まさに今、その研究と実験を重ね、理想のイチゴを生み出そうとトライする生産者の一人。お話を聞くと、将来の規模拡大に向けて綿密に、かつ慎重に研究に励む姿が見えてきました。

#32「健康のためにはまず作物が健康でなければ」 こだわりの土で育てる“食べてよかった”と言われる野菜

森農園 森 文男さん 健康志向が高まり続けるなか、農薬や化学肥料に頼らない野菜作り、コメ作りに取り組む生産者が近年特に増えています。農林水産省の統計によれば、新規就農者の間で有機農業に取り組む割合が高く、また若い就農者に広く浸透し始めているようです。 須賀川市の森農園もそうした農法に取り組む農園の一つですが、そのスタートは非常に早く、園主の森文男さんが有機肥料を使った野菜作りを始めたのは今から40年以上前のこと。世間の多くの人々が食と健康の関係に気づく遥か以前から独自にブ

#31 トルコギキョウ作りの道は、父が家族に遺した大きなプレゼント

花き農家 中山 智さん うねめ伝説発祥の地である郡山市西部・片平町の水田地帯の一角に建つ2棟のビニールハウス。中をのぞくと、白や紫、オレンジなど、さまざまな色の花が咲き誇っています。このハウスで育てられているのはトルコギキョウ。郡山市で栽培される花き類の中でも主要品種の一つとされています。 中山智さんは2019年に新規就農し、同年からこのハウスでトルコギキョウの生産に取り組んでいます。もともとコメ農家だった中山家に新しい作物として花き栽培を取り入れようと考えたのはご両親。

#30 「食べなくてもいいものだからこそ手を抜かずに」。100年の梨農家を守り育てる4代目夫婦の歩む道

渡辺果樹園 渡辺喜則さん、佳子さん フルーツ王国ふくしまを代表する果物の一つである梨。県内では百数十年前から各地で栽培されており、須賀川はその中でも県内を代表する産地として知られています。 須賀川の中心部から北へ約4km。国道4号線と東北新幹線の高架に挟まれた一帯に広がる梨畑は、この地で1925年から梨を作り続ける渡辺果樹園の畑です。現在ここで梨を育てる渡辺喜則さんは4代目。本家までさかのぼれば100年以上の歴史を誇る梨栽培の家系です。育てる梨は「幸水」「豊水」「南水」「

#29 「お父さん、うちの野菜おいしいよね」―娘の言葉で目覚めた後継者の意識

きゅうり農家 松井弘信さん まだ夜が明けきらぬ7月のとある日の午前5時。郡山市三穂田町のきゅうり農家、松井弘信さんの納屋を訪ねると、山積みされた獲れたてのきゅうりを箱詰めする松井さんの姿がありました。 「一番早い時期には夜中の2時から箱詰め作業をしています。」 手を休めることなく一本ずつ丁寧にきゅうりを箱に運びながら、松井さんがそう教えてくれました。最盛期には1日に2度収穫し、睡眠時間は3時間ほどしか取れない日もあるといいます。松井さんを始めとする多くのきゅうり農家のみ

#28 親子の想いが実った夢のブルーベリー園。届けたい「生活の延長線上にある癒し」

ベリーズパーク郡山 城 清里仲さん 2021年6月、郡山に新たなブルーベリー園が開園しました。市の中心部から北西へ向かい東北自動車道を越えた田園地帯の一角に、真新しいネットが張られたブルーベリー畑が広がっています。地面に直接木を植える「地植え」ではなくポットで育てられたブルーベリーの木が整然と並ぶ園内。東日本を中心に国内で広く栽培されるブルーベリーですが、この栽培方法は東北ではまだ3例目、福島県内では初の試みだそうです。 このブルーベリー園「ベリーズパーク郡山」を切り盛り

#27 生産から卸、小売りまで。親子で目指す、まだどこにもない「ハイブリッド型青果流通」のかたち

COCO FARM 音川充輝さん、和輝さん 2020年3月、郡山で半世紀にわたり野菜や果物の仲卸業を手掛ける音川青果の倉庫の一角に、新しい青果店がオープンしました。名前は「SENDOYA」。市内外各地から仕入れられた、その名の通りフレッシュな野菜たちが並んでいます。 野菜のおいしさやラインナップだけでなく、工夫を凝らしたおしゃれなディスプレイもSENDOYAの魅力の理由の一つ。これまでの青果店にはない店づくりとSNSを活用したPRでファンを増やしています。毎朝開店前からお

#26 「せっかく始めるのだから当たり前ではないことを」新しい農業を探したどり着いたエディブルフラワーの道

せっちょっぱら農園 影山智さん、美樹さん 食べられる花、エディブルフラワー。料理やスイーツに彩りとして添えられているのを、みなさんも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。見た目の美しさ、可愛らしさが大きな魅力ですが、実は栄養価が非常に豊富であるとも言われ注目を集めています。 近年、福島県内でも少しずつエディブルフラワーの生産者が増え始めているようですが、ここ郡山でも、あるご夫婦が2019年からその栽培に取り組んでいます。市内富久山町八山田の影山智さん、美樹さん

#25 先駆的発想で事業を拡大した父のDNAを受け継ぎ挑む、若き経営者の「ものづくり」と「人づくり」

有限会社鈴木農園/株式会社まどか菜園 鈴木清美さん 地産地消メニューを提供する郡山市内の居酒屋で人気の食材の一つとなっているジャンボなめこ。味噌汁などに使われる一般的ななめこの何倍もある大ぶりのなめこは旨味も食感も豊か。天ぷら、アヒージョ、マリネ、ラーメンやそばの具材など、用途もバリエーション豊富です。 このジャンボなめこをつくっているのは、郡山市東部の田村町できのこ栽培を手掛ける鈴木農園。大型のなめこは全国でいくつか生産されていますが、その中でも先駆的な存在として知られ

#23 「手を抜かず、やれることは全部やる」。丹精込めた栽培で美しさが際立つ湖南の“箱入り”シイタケ

農事組合法人 愛椎ファミリー 小椋和信さん 農業の分野では今、家族経営による小規模農業経営体の重要性に世界的な注目が集まっています。 国連では2017年、持続的な食料生産を可能にする農業形態として家族農業を世界の「食」を守るカギと位置づけ、2019年から2028年までの10年間を「家族農業の10年」と定めることを採択しました。SDGs(持続可能な開発目標)の実現に世界が取り組む中、フロンティファーマーズで取り上げてきた家族経営の生産者のみなさんは、今後の私たちの日々の営み

#20 家族に息づく開拓者精神を胸に目指す「地域×農業」の新しいコミュニティづくり

コーワファーム(有限会社コーワ建設工業) 塩澤孝さん、晃平さん 郡山の市街地を見下ろす阿武隈川東岸の高台。遠くに安達太良山や奥羽山脈も見渡す丘の上の畑を訪ねると、そこに郡山ブランド野菜の枝豆「グリーンスウィート」を収穫する親子の姿を見つけました。遊休農地となり荒れ放題だったこの土地を借り受け、2人がゼロから野菜作りをスタートしたのは2016年のこと。翌年から作付けを始め3年が経ち、知識の面でも収入の面でもようやく農業として形になってきたといいます。 「どんな仕事でも立ち上

#19 たった一つの巣箱から始まった養蜂一家の70年。受け継ぐ3代目がこだわるのはアカシア蜜の「透き通る白」

石筵養蜂園 後藤佑亮さん 今日の養蜂技術が日本で定着したのは明治時代中期のこと。明治後期から大正、昭和初期にかけて全国に拡大し、戦時中には砂糖に代わる甘味品として、また巣に溜まった蝋を精製した蜜蝋が軍需用品として珍重されました。戦後の食糧難においてもその需要は高く、養蜂業を志す人が全国で急増したと言われています。 そんな戦後の影がまだ郡山にも残る1952年、わずか15歳にして、たった一つの巣箱から養蜂を始めた少年がいました。営林署に勤務しながら兼業で養蜂を続け少しずつ巣箱

#18 「お前、社長をやらないか」 父の一言をきっかけに保育士から農業の道へ

有限会社光 代表取締役 柳田美華さん 郡山の地で強い想いや誇りを胸に農業と向き合う生産者のみなさんを紹介するフロンティアファーマーズ。これまで紹介した方々の中には、元美容師、元システムエンジニア、元ライターなど、異業界から農業の世界へ飛び込み、いまや郡山の食を支えるホープとして活躍する方々もいらっしゃいました。 今回ご紹介する柳田美華さんも、そんなご経歴を持つ一人。以前は保育士として働いていましたが、2017年に水耕栽培の生産者として新規就農しました。現在、市内大槻町にあ