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生産者インタビュー

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フロンティアファーマーズのメインコンテンツ。福島県郡山市で農業を営む皆さんにインタビュー取材しました。彼らがどのように「農」に取り組み、受け継ぎ、繋いでいるのか。彼らの生の言葉で…
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#福島県

♯38 40代1,200年続く旧家を受け継ぐ気鋭の経営者。震災を経て辿り着いた「必要とされるものを作る」農業

株式会社なかた農園 中田幸治さん 郡山市内で収穫される農産物の中には、市や県の枠を飛び越え全国の多くの人々の食を人知れず支えるものもたくさんあります。5年目を迎えたフロンティアファーマーズ。今年度第一回にご紹介するのは、そんな野菜を作る「なかた農園」の代表、中田幸治さん。25名の従業員を抱える気鋭の農業経営者です。もしかしたら、これを読んでいるあなたも一度は、中田さんが作ったネギを食べたことがあるかもしれません。 40代、1200年を超える歴史を持つという旧家に生まれ育っ

♯37 湖南の地で挑む前例のないブドウ作り。厳しい冬の寒さが生み出すここだけのシャルドネの味

jardin du lac 小山順平さん 郡山市随一の絶景スポット、湖南町の「布引風の高原」。標高約1,000m 。33基の巨大風車が建ち並び、日本最大級の風力発電施設がある高原として知られています。眼下に猪苗代湖、その先には磐梯山を見渡し、夏はひまわり、秋はコスモスの花が彩る人気の観光地です。 その布引風の高原を見上げる田園地帯の一角に、若々しい枝を伸ばすブドウ畑が広がっています。植えられているのは、白ワインの代表品種「シャルドネ」。その数は約1,000本にも及びます。

♯36 長野生まれの新進イチゴ農家。セオリーに頼らず独自のスタンスで追及する理想の味

farm.舞木 宮島清人さん 日当たり、風、気温、土質。同じ作物でも自然環境一つで味や出来映えは大きく変わります。生産者のみなさんは、自分に与えられた環境の中でその気候に適応し、ベストな作物を私たちに届けるために日々努力や研究を重ねています。 三春町下舞木で2020年からイチゴ栽培に取り組む宮島清人さんは、まさに今、その研究と実験を重ね、理想のイチゴを生み出そうとトライする生産者の一人。お話を聞くと、将来の規模拡大に向けて綿密に、かつ慎重に研究に励む姿が見えてきました。

#35 大の野菜嫌いが御前人参に魅せられ専業農家へ。先人達が育てた土の力で日本一の人参を作る

株式会社agrity 小野寺 淳さん 「磐梯おろし」とも呼ばれる冷たい西風にさらされる冬の郡山盆地。その風は時に荒ぶり人々を悩ませますが、こと農業においては、風の冷たさが甘みの豊かな冬野菜を育てることにつながっています。 郡山市逢瀬町で野菜やコメを育てる小野寺淳さん。彼が農業に邁進するきっかけとなったのは、まさにそんな寒風の中で育つ甘さ際立つ郡山ブランド野菜「御前人参」との出会いでした。 兼業でスタートし、会社を設立して専業へ。さらに自ら育てた野菜を使ったレストランをオ

♯34 農家ライブに食育イベント。独自の視点で発信する「野菜を伝える活動、野菜で伝える活動」

設楽農園 設楽哲也さん イベントやマルシェへの出店、SNSなどを通じ、栽培のこだわりや食材の楽しみ方を積極的に発信する生産者が増えています。おいしい食べ方や普段触れることのない農作業の裏話を聞く体験は、新しい発見の喜びや感動を私たち消費者に与えてくれます。 須賀川市でねぎやきゅうり、コメ、里芋などを生産する設楽哲也さんもそんな発信を続ける生産者の一人。しかし、その発信スタイルは他の生産者とは一味違います。意外と知らない野菜の成長の仕組みや味の秘密を紐解きながらねぎやきゅう

♯33 友や家族に支えられ挑んだゼロからの挑戦 大きく肉厚な湖南の「金賞」シイタケが生まれるまで

きのこの店 K/M.LAB 佐治卓郎さん 全国でも指折りのシイタケの産地である福島県。東日本大震災以前は木に菌を打ち込み栽培する原木シイタケの栽培が盛んで、都道府県別の生産量でトップ5に入る年もありました。震災後は原木栽培ができなくなり生産量が落ち込みましたが、おがくずやさまざまな栄養体を混ぜ込みブロック状に固めた「培地」で育てる菌床栽培に切り替えた生産者の努力もあり、再び全国上位の生産量を誇るまでに回復しています。 郡山市湖南町で菌床シイタケの栽培を手がける佐治卓郎さん

#32「健康のためにはまず作物が健康でなければ」 こだわりの土で育てる“食べてよかった”と言われる野菜

森農園 森 文男さん 健康志向が高まり続けるなか、農薬や化学肥料に頼らない野菜作り、コメ作りに取り組む生産者が近年特に増えています。農林水産省の統計によれば、新規就農者の間で有機農業に取り組む割合が高く、また若い就農者に広く浸透し始めているようです。 須賀川市の森農園もそうした農法に取り組む農園の一つですが、そのスタートは非常に早く、園主の森文男さんが有機肥料を使った野菜作りを始めたのは今から40年以上前のこと。世間の多くの人々が食と健康の関係に気づく遥か以前から独自にブ

#31 トルコギキョウ作りの道は、父が家族に遺した大きなプレゼント

花き農家 中山 智さん うねめ伝説発祥の地である郡山市西部・片平町の水田地帯の一角に建つ2棟のビニールハウス。中をのぞくと、白や紫、オレンジなど、さまざまな色の花が咲き誇っています。このハウスで育てられているのはトルコギキョウ。郡山市で栽培される花き類の中でも主要品種の一つとされています。 中山智さんは2019年に新規就農し、同年からこのハウスでトルコギキョウの生産に取り組んでいます。もともとコメ農家だった中山家に新しい作物として花き栽培を取り入れようと考えたのはご両親。

#27 生産から卸、小売りまで。親子で目指す、まだどこにもない「ハイブリッド型青果流通」のかたち

COCO FARM 音川充輝さん、和輝さん 2020年3月、郡山で半世紀にわたり野菜や果物の仲卸業を手掛ける音川青果の倉庫の一角に、新しい青果店がオープンしました。名前は「SENDOYA」。市内外各地から仕入れられた、その名の通りフレッシュな野菜たちが並んでいます。 野菜のおいしさやラインナップだけでなく、工夫を凝らしたおしゃれなディスプレイもSENDOYAの魅力の理由の一つ。これまでの青果店にはない店づくりとSNSを活用したPRでファンを増やしています。毎朝開店前からお

#26 「せっかく始めるのだから当たり前ではないことを」新しい農業を探したどり着いたエディブルフラワーの道

せっちょっぱら農園 影山智さん、美樹さん 食べられる花、エディブルフラワー。料理やスイーツに彩りとして添えられているのを、みなさんも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。見た目の美しさ、可愛らしさが大きな魅力ですが、実は栄養価が非常に豊富であるとも言われ注目を集めています。 近年、福島県内でも少しずつエディブルフラワーの生産者が増え始めているようですが、ここ郡山でも、あるご夫婦が2019年からその栽培に取り組んでいます。市内富久山町八山田の影山智さん、美樹さん

#22 役者、教師を経て70年続く梨農家の3代目へ。先輩達への感謝を胸につなぐ故郷の農業

谷代果樹園 谷代克明さん 郡山の北西部に位置する郡山市熱海町。磐梯熱海温泉で広く知られ湯の町のイメージが強いエリアですが、実は国内有数の「梨どころ」でもあります。その栽培の歴史は明治以来100年以上とも言われ、毎年この地からたくさんの梨が県内、国内の各地へ、またベトナムなど海外へも届けられています。 ここ数年、熱海の梨農家の間では「ジョイント栽培」と呼ばれる新しい栽培方法が積極的に導入され、収量の向上を実現しています。木の幹を片側一方向へ伸ばし、その幹の先端部を隣接する幹

#20 家族に息づく開拓者精神を胸に目指す「地域×農業」の新しいコミュニティづくり

コーワファーム(有限会社コーワ建設工業) 塩澤孝さん、晃平さん 郡山の市街地を見下ろす阿武隈川東岸の高台。遠くに安達太良山や奥羽山脈も見渡す丘の上の畑を訪ねると、そこに郡山ブランド野菜の枝豆「グリーンスウィート」を収穫する親子の姿を見つけました。遊休農地となり荒れ放題だったこの土地を借り受け、2人がゼロから野菜作りをスタートしたのは2016年のこと。翌年から作付けを始め3年が経ち、知識の面でも収入の面でもようやく農業として形になってきたといいます。 「どんな仕事でも立ち上

#19 たった一つの巣箱から始まった養蜂一家の70年。受け継ぐ3代目がこだわるのはアカシア蜜の「透き通る白」

石筵養蜂園 後藤佑亮さん 今日の養蜂技術が日本で定着したのは明治時代中期のこと。明治後期から大正、昭和初期にかけて全国に拡大し、戦時中には砂糖に代わる甘味品として、また巣に溜まった蝋を精製した蜜蝋が軍需用品として珍重されました。戦後の食糧難においてもその需要は高く、養蜂業を志す人が全国で急増したと言われています。 そんな戦後の影がまだ郡山にも残る1952年、わずか15歳にして、たった一つの巣箱から養蜂を始めた少年がいました。営林署に勤務しながら兼業で養蜂を続け少しずつ巣箱

#18 「お前、社長をやらないか」 父の一言をきっかけに保育士から農業の道へ

有限会社光 代表取締役 柳田美華さん 郡山の地で強い想いや誇りを胸に農業と向き合う生産者のみなさんを紹介するフロンティアファーマーズ。これまで紹介した方々の中には、元美容師、元システムエンジニア、元ライターなど、異業界から農業の世界へ飛び込み、いまや郡山の食を支えるホープとして活躍する方々もいらっしゃいました。 今回ご紹介する柳田美華さんも、そんなご経歴を持つ一人。以前は保育士として働いていましたが、2017年に水耕栽培の生産者として新規就農しました。現在、市内大槻町にあ